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★交通事故と裁判(Part.1)
 ・事故と自動車任意保険
 ・これが損保会社の手口?
 ・一般的な弁護士の資質
 ・弁護士と裁判
 ・本人訴訟への目覚め
 ・私が原告だ!

★交通事故と裁判(Part.2)
 ・法と正義

★交通事故と裁判(Part.3)
 ・弁護士はTwitterで探そう
 ・弁護士の選び方

★民事訴訟・終結裁判の再審
 ・リアルタイムの裁判記録

★クレームの構図
 ・個人のコンプライアンス
 ・デジタル契約の落とし穴
 ・許されざる社会悪
 ・見えない怖い成年後見
 ・クレームの芽
 ・内部統制の欠落
 ・優越的地位の乱用
 ・現場管理者の資質
 ・セクハラの矛先
 ・横暴な営業所長
 ・医師のモラル
 ・契約の解除と清算
 ・純正ホイールの強度
 ・金融機関が詐欺に引っかかる
 ・クレームの対応と防御

 私は車を運転する以上…思わぬ事故に巻き込まれる事も、自分自身が事故を起こす可能性も大いにあると思っています。もし事故を起こしてしまった場合、被害者に対して自力で補償する力はありません。従って最大限の補償が出来るように自動車任意保険をかけています。かって納車1週間目の車と衝突して、被害者からの連日の電話で拒食になり…離婚に発展させた経験から、事故はともすれば加害者が被害者に逆転する場合がある事を熟知しています。
 任意保険は必ず示談交渉付きを選び,事が起これば損保会社が責任を持って解決してくれるようにした上で、安全運転を心がけています。私は事故が起これば、即時に携帯電話で警察に電話を入れ、発信履歴に事故発生時間を残して損保会社や自動車工場への連絡に移ります。
 事故の詳細を知らせて損保会社が円滑に動けるようにする事も、被保険者の責務だと思っています。
 私は、交通事故が起きれば全て損保会社が仲介して解決してくれるものだと,重大な勘違いをしていた事に気づきました。損保会社が介入するのは、事故当事者間の過失が幾分かに分かれる時だけなのです。私が1999年に被災した交通事故は、赤信号停車中の後部から追突という 100対0の事例でした。
 すなわち私の任意保険は使われず…損保会社が動く必要が無かったのです。一個人の私が、加害者の損保会社と示談交渉をする中で、多くの事を学びました。

_(これが損保会社の手口)_
 『100%加害者の過失という悲惨な事故でありながら,裁判をして被害者が負けた』その経験から、事故にあったら被害者は何をどのようにすべきなのか、損保会社の手口と思われるような、後々争点となった重要事項を皆さんにお伝えしたいと思います。
 1999年3月17日深夜、加害車両が廃車になったほどの大事故でした。当然損保会社は被害者の怪我の状況を推測して…連絡を入れてきたでしょう。日産サファリという重量感のある私の車は、1mも交差点内に押し出され、車内の積み荷は崩れ、20kgの伸縮ハシゴが滑る様に移動して運転席の背部を強打しました。握力も落ち、肩や、首から背中にかけての重い痛みで仕事ができませんでした。
 3月はハウスメーカーの決算期、開業から5期目…ずっと順調に発展させた事業を…より大きくするために存在感を誇示する最良の期間、1年中で一番繁多な季節なので個人事業主であった私は、自分の不足分を補い代替作業するパート社員を多数投入し、顧客や社員が困らない作業環境を作り、背中一面に湿布を貼り診療に通いました。3月の繁多に拍車をかけて、パート社員の増員分で支払い給与は増大し、瞬時に資金不足に陥りました。
 物損担当者は早々に動き車両修理は完了したのに、人身担当者から連絡すら無いのです。私の怒りは爆発しました。当然矛先は損保会社です。担当者は「申し訳ありませんが、損金計算書を出していただけば、査定をしてお支払いさせていただきます。」と言い「今、市民病院に通院していただいていますが、大病院は痛み止めと湿布薬をくれるだけで治療をしません。1日も早く良くなっていただきたいので…電気治療等の施術をする接骨院で治療をしてください。保険の利く所なら何処でも結構です。」と温かい助言のような口調で言いました。
 私は言われるままに、翌日に市民病院と名医と噂される整骨院に行き、以降はその整骨院に通院をして施術を受けました。損保担当者が言う通り、唯ひたすら『早く治りたい』という一心で、何の疑いも持ちませんでした。1年間の通院をして整骨院の施術者は、症状固定だと言いながらも後遺症認定は書けないと言うのです。損保会社と通じているのかと疑いを持つほど、通院中には一度も教えてくれませんでした。市民病院に相談しても継続診療していないからと言う理由で後遺症認定は書けないと言われました。事故から9年を経た今でも、首や背中がパンパンに張り、雨期や冬期は疼痛に悩まされて湿布が離せないほどの後遺症を残しながら、後遺症障害の認定が貰えませんでした。
 損保会社の『温かい言葉が大きな落とし穴』だったのです。柔道整体師は医師では無いために後遺症認定をする事が出来ないのです。接骨院等に通院しても,月に一度は必ず、大きな病院での診察を継続して受けておかなければなりません。これは裁判をする時に初めて判ったのです。
 悪意を持って余分な賠償金を取ろうとは思いません。しかし,身体に痛みを残した上に事業の損失まで認めることは出来ませんでした。何よりも赤信号停車中の一方的な過失の事故なのです。そして損保会社と私との真剣な示談交渉が始まりました。パソコンで財務諸表を出してどれだけの事業損失が出たかを示し、「100%の過失の事故で、なぜ私が我慢を強いられるの? 絶対に1円たりとも値引きはしない、損失金は全て返していただく。」と押し通しました。
 1ヶ月弱の交渉の末、損保担当者が「よく解りました。私は一担当者の権限しか持たないので、そちらの言い分をそのまま持ち帰る事が出来ないが,弁護士同士で話していただけば、希望に近い金額が認められると思います。私も早急に顧問弁護士に引き継ぎをしますので、そちらも弁護士に依頼をしてください。」と言い、交渉期間中の暴言無礼を丁寧に詫びて引き上げたのです。私は、プロの交渉人を相手に説き伏せた…自らの説得力の成果を評価し、素直に喜びを感じました。

 地元弁護士会に法律相談の問合せをすると、行政が定期的に企画する市民法律相談は無料である事。急ぎの時は弁護士会でも相談を受けており当番弁護士が対応する事。また個々の法律事務所に直接電話予約を入れて法律相談が可能である事。市民相談以外は一律30分5000円と決まっている事を教えられました。30分某という料金設定からして,弁護士と言う職務にある人物は相談者の話を傾聴し、即応する返答が出来うる人たちなのだと…大きな期待を持っていました。

 私は遥か昔、知人の住居の件で弁護士から封書を受け取った事があり、Y弁護士の在籍する法律事務所を探して電話で相談を申し込みました。Y弁護士に面談できると思い込んで出かけたのですが、当日担当したのは初老のN弁護士。交通事故の件、事業損失の件、示談交渉の経緯等を話すのですが、N弁護士は女性が事業をしていた事に違和感を持ってその一点にのみ執着し、セクハラではないかと疑念を持つほどに頑固で、とても相談にはならない弁護士でした。

 次に出会ったのが,京都弁護士会のM弁護士。知人のご紹介でアポを取り、快く相談に応じていただきました。初回の相談で裁判を起こしたい意向を伝え、事故、示談、治療経緯、事業損失金等の詳細を話しました。私の窓口になって詳細を聞き、打合せをするのはT女史。彼女は研修中?なのか、名刺に弁護士の肩書きはありません。M弁護士の法律事務所は、ホームページを公開し『私たち京都太陽合同事務所は、多数の異なった法律分野の専門家が一同に会して、お客様からのご依頼を迅速かつ的確にそして適正な費用でお受けさせていただく事を目標にしています』と同業他社との大きな違いがアピールされています。
 また、弁護士会の弁護士検索ページに『当法律事務所の特色は、異なる専門業種との密接な連携にあります。即ち、一つのフロアーに弁護士である私のほかに公認会計士、税理士、司法書士、土地家屋調査士等多数の資格者が机を並べています。その結果、必要に応じ相互に協力して、依頼者の幅広いニーズに即時かつ総合的に対応することが可能となっています。』と書いています。確かに専門家が在籍して巧く機能していると見え、私の算出した事業損失が、類似の計算式により求められて納得のいく損害賠償の内容になっていました。
 M弁護士はT女史に任せて非弁活動をさせたせいか、損害賠償請求の裁判は起こされず、損保会社顧問弁護士相手に拘束力の無い示談交渉をしたのです。依頼通りの裁判ならば顧問弁護士は何らかの対応をせねばならず逃げる訳にはいきません。M弁護士がお人好しなのか、財務諸表が理解できなかったのか、無駄な示談交渉を続けて…損保会社の顧問弁護士から無視をされて…2年間を過ごし、損害賠償請求提訴の時効を迎える直前になって『後は裁判しか方法が無いが、私は相手方弁護士の誠意無い対応に苛立ち、平常心を持ってあたれない。申し訳ないが…この件から辞退したい。後は、貴方さえ良ければ知人の弁護士を紹介する。』といって解任を求めました。
 私のような素人にも理解可能な法的拘束力を理解せず、依頼人の希望した損害賠償請求の申立てを怠り、自らが掘った墓穴に陥ったのです。弁護士たるものが、誠に情けない話です。M弁護士は着手金の全額を返却してきました。さすが弁護士、依頼人を守れなくても自分を守る事には抜け目がありません。債務不履行の追求を回避するためには懸命な判断でした。

 そして紹介されたのが同じく京都弁護士会のS弁護士。三者が顔合わせした訳ではなく、私の知らないところで引き継ぎをされ、初回面談の時には,事故関連の書類やM弁護士が行った損害賠償請求の書類も全てがS弁護士の手元にありました。私は三人目の弁護士にも同様に事故、示談、事業損失等々を話しました。S弁護士は「期日が近づいているので、早急に訴状を作って提出しましょう。」といいました。短い時間の面談でしたが、書類が手渡され居るのですから、M弁護士から詳細が報告されて,S弁護士が全ての状況を把握しているものと思いました。

 裁判など初めて経験する私は、法廷には原告本人(依頼人)も出廷するのかと尋ねると「その必要は無い」と力強い答えが返ってきました。S弁護士は、期日に間に合わせるため早々に訴状を作って、訴状内容の事前確認も無く、提出しました。訴状内容は、M弁護士が算定した損害賠償金額とはかなり異なるものでした。独断で提出された訴状の控えは、大津地裁の事件番号と第一回口頭弁論日が手書きで記されて、S弁護士から送られてきました。
 加害者100%過失の交通事故の損害賠償です。金額の多い少ないに固執する訳ではありませんがM弁護士の代理人行為の延長線上で,損害賠償請求の裁判をするのですから同一の顧問弁護士を相手に加害者代理人として争うのです。多少の違和感を残しながらも、弁護士が紹介した弁護士であるからまず大丈夫だろうし、後は任せるしかないと思いました。
 第一審は、弁論準備手続きと言う方法がとられ、4回分の弁論準備手続き調書が残っています。加害者代理人の準備書面には、治療の必要性を争点とするごとき内容が列挙され、原告が事業損失を求めているのに事業の事には一切触れていないのです。裁判が始まって約1年が経過して、本人陳述日がありました。S弁護士指導の元に、陳述書を作成して提出され、陳述書内容に基づいてS弁護士から尋問を受けて答えます。次に反対尋問、加害者代理人が事業の事で突っ込んだ尋問をして来ました。私は事業損失を強調するあまり声を荒げて反論すると「質問された事意外は答えないように!」と裁判官が釘を刺しました。裁判では本人陳述さえも自由意思で発言できない事を知りました。裁判官はS弁護士に「追加の尋問はありませんか?」と聞きました。私は事業損失を説明するチャンスと思いながら、S弁護士の追加尋問を待ちましたが、S弁護士は「特にありません」と答えて尋問を終結させました。
 そして次回の期日を確認し、裁判官が加害者代理人に遅延書類の提出を促しました。加害者代理人が提出日を答えると、裁判官が「もう少し早くなりませんか、私の移動があるから判決が書けない」と、提出期日を短縮しました。最終口頭弁論が3月16日に行われ、3月31日に判決の言い渡しです。
 判決文には、通院治療した最終日を1年間違え、錯誤をしたまま記載され、通院日数で算定された休業補償が記されています。その金額は損保担当者が、示談交渉に提示した金額を遥かに下回る金額でした。私は即日、控訴を伝えました。加害者代理人が最終に裁判官から要求された書類を見ていないのです。判決に影響したであろう重要書類を見る事無く、反論の機会も全く無いまま敗訴で終わるのは、納得が出来ません。依頼人の心情を理解しないS弁護士への信頼が薄れてきて、独自で学習しようと思い、民事訴訟法の本を買ってきました。その本を参考にしながら、どうすれば逆転させられるのかを考えながら、今一度、S弁護士に事業損失をアピールしました。控訴審は一度の口頭弁論のみで、判決が言い渡されると言う事でした。私はS弁護士が、私の意向通りに主張してくれたものと信じていました。しかし判決は慰謝料を若干加算されただけ、事業の本質にも触れられませんでした。
 当然、上告です。しかしS弁護士はなぜか…かなり消極的になっていました。私はその時点では加害者代理人が、M弁護士から受け取った決算書を証拠に提出していた事を知りませんでした。一審裁判官が明言した判決に影響する書類は何だ、なぜ当事者に見せられず、反論機会を与えず判決が出たのかと声を荒げて問い詰めると、S弁護士は平然と「それは最終口頭弁論の準備書面でしょう。渡していませんか。」と言い、加害者準備書面を出しました。それには事業の事がぎっしり書かれていました。ならば控訴審でこの書面に反論して、事業損失金を強調すれば良かったはずなのです。加害者代理人が一審最終に提出したのは、問題の準備書面とM弁護士が示談交渉で送った私の決算書でした。財務の理解できない弁護士への鋭い攻撃に、引継ぎ前の弁護士から送られた決算書を書証に使ったのです。
 S弁護士は財務に疎い上に、計算が苦手で、理論的に物事を考えない性格だ、と言う事が上告審で明らかになりました。一審の書類を見せなかった不備、また計算間違いをした数式を指摘して修正を願うと、私が依頼をした内容と正反対に修正し、支離滅裂な訴状内容を攪乱させるごとき訴訟妨害の行為をしました。私は、それを限界だと悟り滋賀のY弁護士に後任を依頼しました。
 しかし数日後、最高裁からは上告を受理しないと言う決定を受けました。法の遵守と社会正義の実現が重大使命であるはずの弁護士のこれらの行為に、私は大きなストレスを長期に渉って抱え、パニック障害を発症させてしまいました。

 上告審で、S弁護士が依頼人の私を無視するようになった頃から、滋賀県のY弁護士にメールでアポを取り、訴訟記録を見てもらい、代理人の交代を嘆願していました。
 S弁護士の悪辣な訴訟妨害で、思いのほか、早く最高裁の決定が出て実現はしませんでしたが、最後に打合せの時間を取っていただいていたので、今後の学習としてお話を聞かせていただきました。Y弁護士は開口一番「今回の件でS弁護士の行為が債務不履行になるかを、私には聞かないでください。」と釘を刺され、私は「わかりました。」と答えて、雑談に近い話しの中で、様々な事を教わりました。そして帰り際に「もし貴方がこの件が債務不履行になると思うとしたら、本人訴訟で訴える事が可能であるし、他の弁護士に依頼をして訴訟を起こす事が可能です。」とY弁護士から債務不履行を示唆するアドバイスを受けました。「先生に依頼をしたら、受けていただけますか?」と聞くと「こういう事案は、僕は辞退をしたい。」と断言されました。私はY弁護士への信頼を篤くすると同時に、今までの弁護士らとの資質の差を痛感しました。
 私は、ならば本人訴訟を経験してみようと決めて、民事訴訟法の本を端から端まで読んで、イメージを膨らませました。どの時点で、事業損失の請求が敗訴となる結果に誘導させたのかを知るためには、M弁護士が作った示談交渉の資料が必要になります。そこでS弁護士に書類返却を求めましたが、スムーズには返却されませんでした。再び、内容証明便で、強制力のある表現を使い、再通告として書類の返還要求をして、M弁護士にもその件を伝えました。すると知人関係にあるM弁護士からも伝わったのか、書類が一式返ってきました。訴訟原本は、裁判所で閲覧が可能であると書かれた書面と、訴訟費用の精算書が添えられ別便の書留で残金が返却されてきました。
 その頃の私は、訳の分からない激しい発作に悩まされ、あと何日生きるんだろう…という不安を抱えた日常を送っていました。とにかく自分の病気が何なのか知る必要があり、動悸をこらえて、日赤へ診察にいきました。病名は『パニック障害』でした。発作が出だしたのが前年の9月頃ですから、信頼したはずの弁護士の過失が敗訴の原因なのだと解った頃です。無意識の間に大きなストレスを抱え込んでいたのでしょう。
 医師は暫く仕事からも離れて休養する事を勧めました。個人事業者である私は、今休養すれば、また事故の時と同じ損失を抱えるじゃないかと頭が真っ白になりました。急務休養のために、パート社員の今後と得意先への責任を果たせる人物を選任して、後の仕事を引き継ぎ私の事業を廃業させました。
 こうなったら、私特有の遊び気分です。『よし、S弁護士と勝負してやろう。』と思いました。S弁護士は私と同年代でしたから、弁護士としての賞味期限はそんなに長くはないでしょう。ご家族もあるでしょうし彼の弁護士資格の剥奪は避けてあげようという温かい心を持ち、弁護士会へ懲戒の請求はしない事に決めました。この温かい気持ちが伝わる弁護士なら、真摯な気持ちで私の事案に関わってくれたのでしょうが…。
 私の報復は『弁護士にも馬鹿が居る。京都のS弁護士は、信頼の出来ない…幼稚な思考の持ち主なのだ。S弁護士に気をつけろ。』と言う事を、世間の数人の人たちに知らせ、彼の周辺にいる法曹達にもこの依頼人の悔しさが伝われば満足でした。そこで、訴訟の準備のために大津地裁に行き、前件裁判の経過を閲覧してコピーをとり、民事訴訟法の本を片手に、訴訟の準備を始めました。手始めにS弁護士には、前件裁判が債務不履行にあたる事を記して損害賠償請求を内容証明便で通知し、法的手段を取る事をも明記しておきました。

 さて訴訟です。私は事故後の経緯から引継ぎ時の過誤を指摘する為に、被告にはM弁護士とS弁護士の2名としました。事実関係を立証するには被告らと接触を持った加害者代理人のO弁護士が最たる適任者です。前述通り、当事者不在で引継ぎは成されました。私が検証した結果、前任者M弁護士の行動を推測できる引継ぎ書類を、後任のS弁護士が目を通していない、同一の弁護士と争う下準備が出来ていない事が、起因であると解ったからです。引継ぎ時の過誤がS弁護士の善管注意義務違反と成り、その後の行為行動で当事者の指摘や懇願をも無視し、訴訟妨害をして早期終結させた事が債務不履行になったのです。通常、相手方が業務をしているその所在地に訴状を出す…と書かれており、京都地裁に提出にいくと『損害賠償請求は相手方に損害を持って謝りにこい』という主旨の訴えであるから、原告の所在地で裁判が受けられると教えられ、大津地裁で裁判を受ける事にしました。
 第一回口頭弁論、被告らは答弁書を出して両者共に欠席しました。第二回口頭弁論、S被告は出席しM被告は欠席でした。私の訴えの主旨を読み、被告の答弁書を読んで裁判官が判断したものと思われますが、被告が弁護士である事が裁判官の心証を揺るがしたのか、一般的な社会的信頼に結びついたでしょうか。M被告は一度も出廷しないまま一審が終わりました。国民の平等に反する一審裁判官の判断に唖然としました。これで社会正義が保てるのだろうかと、大きな疑念を持ちました。S被告の引継ぎ時の善管注意義務違反を立証するため、前件M被告の示談内容とS被告の裁判上の行為を知る…損保会社顧問のO弁護士に証人を依頼し、原告の申請通りに証人尋問までこぎ着ければ、必ず立証する自信がありました。又、依頼したO弁護士には、前件でのS被告の失策と私の見解、前件裁判を記憶に残していただくように依頼し、本人訴訟の裁判の経緯を送付していました。結局、証人尋問は成されず、私の主張する引継ぎ時の過誤が見落とされ、前件裁判のみに終始し、訴訟代理人としての行為は裁量権の範囲であるから、債務不履行とは言えない。と言う判決を受けました。私は大声で異議申立てをしたい気分になりました。民事訴訟法は訴状を出した原告の処分権に従って。当事者間の言い分を聞き、第三者である裁判官が唯一の真実を検証して裁くべきであり、潜在意識や既成概念に左右されて重要事実を見過ごしては法の正義が確立できません。
 控訴審に向け、控訴状には2名を被告とした意味、引継ぎ時の過誤が債務不履行にあたると主張するのですが、被告の内1名の欠席を許した一審裁判官の心証、既判力が生きて、今一度見直される事はありませんでした。上告審も同様で、私は完全敗訴した訳です。被告が弁護士であるから篤実であるはずだ…という社会通念に負けたのです。

 しかしこの裁判をして大きな収穫がありました。もちろん、S弁護士への報復はある意味成功したと思っています。前件最終に相談したY弁護士、損保会社の顧問であるO弁護士、法的拘束力を意識できなかったM弁護士、そして何より真実を知るご当人のS弁護士。多数の法曹に『弁護士にも馬鹿が居る。』ことが伝えられました。
 それよりもっと大きな収穫です。裁判を受ける権利は憲法に保障されています。お金がなくとも、訴訟は出来る。これは、国民の全てに知らせてあげたい、そう思ってこのホームページを立ち上げたのです。