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Macが一番
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ぷろふぃーる
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 ・父が育てた子
 ・父とのエピソード
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休憩室
 ・欲しい物…何でも作っちゃう

 ★その物語は、ガレージから始まった★
 私は『誰もが使えるコンピュータ』というコンセプトが好きで、マックファンを自認し8台目のマックを愛用しています。日本のパソコン業界は BASICが主流でしたが、ソフトウェア開発会社・マイクロソフトが1995年にマッキントッシュの初期画面や動作を模した動作環境ウインドゥズ95を開発し、パソコンを起動すると窓を開くごとく見やすい画面が表示する様になり、日本企業はウインドゥズの導入を決め、事実上ソフトの開発から撤退して、ハードウェア(機器)の開発のみに縮小しました。
 つまり、機器とパソコン動作環境とが異なった会社で作られているのが、日本の現状なのです。だから某かのトラブルが起きて、メーカーに問合せしても、電源が入らない等の機器の故障でなければ…解決方法が見つからず、再インストールをして下さいとしか返事が出来ないのです。メーカーが不親切だと感じた経験はありませんか? 起動ソフトはマイクロソフト社なので、冷たい様ですが仕方が無いのです。基本的にトラブルは使用中の微細ミスで起こりますから常にバックアップを取り、再インストールをして、バックアップデータをパソコンに戻してやれば、元の状態に戻るのですが初心者はこれに慣れるまでがとても難しく感じるのです。
 アップルと他社との最も大きな違いが、これなのです。アップル社は、ハードとソフトの両方を自社で開発している為、マックに関するあらゆる情報を把握して、初歩的な問合せにも懇切丁寧に教えてくれますし、トラブルの改善方法や機種毎に僅かに異なる表示画面を的確に押さえ、同機種のパソコンを開いているのかな…と思うほど解りやすく教え説明してくれます。回線が込んで繋がりにくい時もありますが、繋がれば確実に答えが出るまで、サポートしてくれます。パソコン初心者にとって、サポートが充実しているという環境が何より嬉しく、優しいマックの特色なのです。

 マックファンが思うに、アップルを語るにスティーブ・ジョブスを抜きにしては答えが出ないと、断言できるでしょう。ご存知の方も多いかと思いますが、マイクロソフト社の設立は1975年4月4日、言わばコンピュータが企業の演算処理だけのモノではなく、広く一般市民が親しむ事になるかも…という価値観がアメリカで根付くきっかけになったのが、1975年に間違いないと思います。

 パソコンの歴史は浅く、スティーブ・ウォズニアックの『Apple_1』が初代1号機。

 スティーブ・ジョブスが高校生の1975年にウォズと出会い、積極性があり冒険好きのジョブスと慎重派で職人肌のウォズ、正反対の性格ながら5歳違いの2人のスティーブは意気投合しました。75年に地元の自家醸造コンピュータクラブの集まりに参加する様になりました。24歳のウォズはとても優秀なエンジニアで、当時、インテルがリリースしたCPUを使って作られた最小のコンピュータキットよりも、MOSテクノロジー社製品の方が安く、しかも簡単な回路のコンピュータが出来ると確信し、半年を懸けて設計して、ホームブリュー・コンピュータ・クラブで賞賛を受けて、自信を持ち『誰もが使えるコンピュータ』の商品化を目指しました。
 ウォズの勤めていたヒューレットパッカードも、ジョブスの勤めるアタリも『個人がパソコンを持つ』という世界観を理解が出来ずに商品化を断ったのです。2人は自分の車やプログラミング電卓を売って、資金を作り『Apple_1』を制作して自分たちで売る事を考えたのです。『一度くらい失敗したって良い。それよりも、俺は一度会社を作った事があるんだぜと言える事の方が大切さ』と云って、ジョブスが弱腰のウォズを口説いたという青年時代のエピソードが残っています。
 社名をAppleと決めて。1976年6月、666.66ドルでパソコンショップへ50台を出荷しました。当初は売上げが伸びず、8月を過ぎて売上げが好転しました。当時の円換算では1ドルは268円51銭なので、17万9000円の卸値です。確か…当時の物価では、250ml程の冷蔵庫価格がそれ位だったと思います。大型の汎用コンピュータが主流であったのが、この時にパーソナルコンピュータが市民権を得たのです。

 そして機器の開発力のウォズと、ソフトの開発力と優れた商才を持つジョブスと、資金力のマイク・マークラの3人が、1997年1月3日にアップルコンピュータを法人化させました。
 ウォズはアップルに注力する為にヒューレットパッカードを退社し、『Apple_1』を再設計して、処理能力向上と外部ディスプレイへのカラー表示、機能拡張スロット、内蔵キーボード、データ記録用カセットレコーダを持つ『Apple_2』をほとんど独力で開発し、1977年 6月に発表して 1297ドルで爆発的に売れ、莫大な利益をアップルにもたらしたそうです。
 1979年にNECが、1981年にIBMが、パソコン市場に参入しました。日本のパソコン業界は BASIC主流で動きだしました、IBMはDOSと異なった環境でパソコンの動作をさせていました。1995年…お馴染みのウインドウズの発売を見て、日本企業はOS開発から撤退して…ウインドウズを導入し、マイクロソフトの一人勝ちかに見えてIBMは2005年に、パソコン事業を中国の企業に売却し、撤退してしまいました。
 アップルの社内は、その間に大波乱が起こっています。1984年後半ジョブスが需要予測を誤り、過剰在庫で赤字を計上して、人員削減を余儀なくされ、社内を混乱させたとして(会長職以外の)全ての仕事を剥奪されました。創業者を左遷するとは、さすがに資本主義のアメリカです。結果的にジョブスは1985年に正式に辞表を出し、ウォズも別の理由で同年にアップル社を辞めています。コンピュータに精通する創業者2人が辞めて…その後のアップルの経営は、かなり厳しいものになってしまいます。

 ジョブスはアップルの株(約650万株)を、決算報告書を受け取るための1株を残して全てを売却して、新会社ネクストを立ち上げ、OS…NEXTSTEPの開発に膨大な時間を費やし、当初計画から2年遅れた1989年に『NeXTcube』を発売しました。
 その後はソフト事業に専念して、世界初のウェブアプリケーション開発・運用環境である『WebObject』を出荷、NEXTSTEPは自社開発する金融機関にも受け入れられ安定した経営をして(株式公開には失敗した様ですが)、世界初のウェブ環境の創造という絶大な功績を残し、NEXTSTEPの開発機能は、様々な利便さを兼ね備えて現在のマックOSXにも受け継がれています。
 アップル社がOS技術を外部に求めた事から、1996年11月頃、NEXTSTEPを売り込む為にジョブスは退社から11年ぶりにアップルを訪れて、プレゼンをして売込み採用され、同年12月20日、アップル社がネクスト社を4億ドルで買収する事に合意し、次期OSの基盤技術としてNEXTSTEPを採用する事を発表しました。ジョブスはアップルの非常勤顧問という形で復帰をして、1998年に斬新なデザインのiMacを市場投入したのです。
 ジョブスが2000年にCEOに就任して、ウォズ直伝のスタッフ技術とジョブスの開発力が融合して2001年にはMacOSXを発表し、同時にiTunesとiPodによって音楽事業に参入して、音楽事業をパソコン事業と並ぶアップルの柱にしました。
  (参考文献・Web/フリー辞典ーWikipedia(スティーブ・ジョブス、スティーブ・ウォズニアック)

 ジョブスが戻って、アップルのコンセプトは『誰もが使えるコンピュータ』から『誰もが使いたくなるコンピュータ』へと進化したかに見えて、トップのぶれない姿勢が現われています。
 面白いのはジョブスはアップルを去った経験からか、社会保障を受ける為に年間1ドルの給与だけをアップル社から受け取っていると言う事です。自由な発想で自由な行動を可能にする彼の価値観が見え、個人主義のアメリカならではの彼の異端児ぶりが、これに集約されている様に思います。

 日本人は兎角、検定だの資格だのが好きです。会社員で生きるならば有資格者が有利でしょうし、重要な知識を求められる国家資格を有する職種もありますが、現実には資格の有無で人材能力を計れない事が明白で、多くの企業も学習していることでしょう。
 パソコンが一般に普及した頃、日本製の日本語ソフトに勝るものは無いという価値観が後押しをしてワープロソフトは『一太郎』が主流でした。国内のパソコンメーカーがウインドゥズに傾倒した頃、一時期マイクロソフトの日本法人が、OSと抱き合わせにWord と Excelを出荷して、1998年11月に公正取引委員会に独禁法違反で排除勧告を受けた事は耳新しく、ソフト普及に日本法人が貢献した事は否めない事実です。
 現在のパソコン検定では、一太郎も選択可能ですが、Word と Excel に、PowerPoint とマイクロソフト社製品が主たる問題に出る事実が面白く、パソコン検定の仕掛人は誰?と疑念を持ってしまいます。
 日本国内がマイクロソフト一色に染まりつつある中、アップルは常にマイペースで歩み続けています。ワープロはクラリスワークス、グラフィックはクラリスインパクト、データベースはファイルメーカーと、アップルの100%出資子会社クラリス社が開発していました。
 現在はファイルメーカー社と変え、ビジネス用『 FileMaker Pro 』と個人用『 Bento 』というデータベースソフトを開発しています。FileMaker Pro は、関数の数が最小限に抑えられて、フィールド定義やスクリプトが作成しやすい上に、最新バージョンでは複数のテーブルが作成できて、データの読み込みや参照が簡単になり、利便性が高くなりました。ワープロソフトも使いやすく、プレゼンテーションやニューズレターに最適で、データの読み込みや画像の貼付けが可能なので、好みに合わせたレター用紙を作る事も出来ます。
 またアップルがレーザープリンタ開発に高精度な印刷を求めている時に、1982年に設立したアドビ社がページ記述言語を研究している事をジョブスが知り、供給を依頼しました。
 アドビは85年『PostScript』を発表し、ライセンスの主たる供与先はアップルでした。87年に『Illustrator』、89年には『Photoshop』を発売し、アプリケーションプログラム事業に参入して不動たる基盤を作りました。マックユーザーにデザイナーやクリエーターが多いのはいち早く、アドビのアプリケーションを使える環境を構築したジョブスの先見の恩恵とも言え、ウインドゥズ95が浸透するまで…アドビ製品をウインドゥズユーザーが使用できるまでには、相当な時間が掛かったと言えるでしょう。
 ジョブスは常に一歩先を考え他社に振り回される事無くユーザーの興味を重視して、庶民が親しむコンピュータを提供してきたのだと思います。マックのサポートに恵まれ楽しいアプリケーションに恵まれて遊び気分で使う内に、わたしは複式簿記の経理ソフトを完成させるほどにデータベース構築をマスターし、まだまだ未熟ですが、Photoshopで写真加工し…テキストエディタでHTML書類を作り、JavaScript やスタイルシートを学習し、理解不能な部分は二男に教えを請いながら、楽しくホームページを自作する所まで上達した?…と、嬉しくなっています。マニアックなわたしは、やはり『マックが一番』だと思っています。

 パソコンは新入生の机と同じ…! 本棚にどんな本を揃えて何を勉強するのか、引き出しはどの様に整理をして片付けるか、解らない時は誰に聞こうか、そういう事を考えてパソコンを選ぶ事が重要です。ウインドウズ対応ソフトが数多く販売されているのですが、実際に購入して使用するアプリケーションは限られています。